ネットと孤独が招く悲劇と奇跡
今年2015年はインターネットが普及し始めて20年になる(1995年に日本にwindows登場)。
インタネットはもともと軍事技術だったが、この便利なテクノロジーはあっという間に世界に広がった。
その結果、インターネットの犯罪が激増している。警視庁の発表では平成25年度の検挙件数だけで国内で8000件を超えている。
種類も様々で不正アクセス(ハッキングなど)やインターネットバンキング利用者の不正送金被害なども増加しており2014年で不正送金被害は約29億円に上る。
インターネットの悪用も目立っており、最近はISIで鮮明になった動画配信というテロ。見たくないものまで目に入る時代。
ネットの普及で人と直接会わなくても、人との交流は可能だ。
このことは、引きこもりや様々な社会問題の一因となっているといえないだろうか。
お子様をお持ちのご家庭では、わが子がスマホでどんな情報を入手し、誰と交流し、どんな世界を構築していっているかご存じだろうか?若者の代表的な交流サイトLineですら、健全な交流サイトとは言えなくなっている。
一方で、SNSにアクセスすることで、日々どれほどの時間を消費しているだろう。
自分自身と向き合う時間をどれくらい失しなっているだろう。
もちろん悪い側面ばかりではない。
合衆国での話だが、先日、すい臓がんの早期発見システムを発見した少年は13歳からこのことに関心を持ち、インターネットを活用することで15歳の時に発見に至っていいる。彼はインターネットで検索し、学び、米国の専門医200名にメールしたことがきっかけとなったようだ。
つまり ネットという道具はもろ刃の剣である ということだ。
しかし、最近、我々は大切なことを忘れはじめていなか。
行動が伴わない、バーチャルな思考は無意味であるということを。
せっかくこの世に生を受けたのだから、実際に失敗したり傷つくことを避けてはいけない。
この世で、学べることは行動によって得られる。
世界で起こっている様々な紛争も原因を作っているのは、便利さだけを追求する現代社会だ。
全ての原因は、我々一人一人の心の中にあるともいえる。
この感覚を失うと、日々の事件やニュースが他人事で、生きること薄っぺらくなっていく気がしてならない。
一人の時間を大切にしてほしい。自分自身と向き合って欲しい。
何のために自分は生きているのかを考えてほしい。
流されるだけの人生を送るには、人生がもったいなさすぎる。
我々は生きているのではなく、生かされているのだから。
坂田 貴和