日本人よ海外に飛び出そう!

全米オープンで錦織圭(24)がアジア男子初の準優勝という快挙を成し遂げた。ジュニアの部の男子ダブルスでは中川直樹(17)が初優勝。四大大会のジュニア制覇は錦織が男子ダブルスを制した2006年全仏ジュニア以来らしい。二人の共通点は、10代前半で渡米し、世界のスポーツエリートとの競争にもまれてきた選手という点。(尚、車いす部門は男子は国枝慎吾、女子が上地結衣、国枝、上地はともにダブルスとの2冠を達成した。まさに、日本旋風といえる。)

 

テレビニュースでは放映されなかったが、決勝の試合後の記者会見で、ある人への感謝を口にした。日本テニス協会の盛田正明名誉会長だ。同氏が私財を投じて設立した通称「盛田ファンド」の奨学金をもらって、錦織は13歳で日本を飛び出し、シャラポワらが育ったフロリダ州のアカデミーで英才教育を受けてきた。

「(盛田さんは)決勝を一番見てほしかった人。今回は来ることができなかった。次に優勝を見てもらうためにきょうは負けました」。完敗に終わった悔しさを冗談で紛らせながらも恩人への感謝の思いがあふれた。

 

ソニー創業者、盛田昭夫氏の弟の正明氏は2000年にファンドを設立。若き有望株を選抜し、渡航費、滞在費などをすべて負担したそうだ。島根出身の錦織は4期生で、同ファンドが生んだ初のプロ選手となる。錦織らが腕を磨いたアカデミーはテニスだけでなく複数のスポーツをカバーする。同地を拠点にするゴルファーの一人が沖縄出身の宮里美香(24)。日本女子アマを14歳で優勝した宮里は高校卒業後すぐに渡米、日本のプロテストを経ることなく米国でプロ転向した。

 

サッカーでは早くから10代で海外に渡る選手が多かった。先駆けの一人が、1982年に高校を中退し、15歳でブラジルに渡った三浦知良(47)。

 

今の時代はスポーツもビジネスもグローバルな時代。日本で育つよりも、海外で競争の激しい環境で育つ方が成功の確率も高いだろう。

私は20歳で海外に飛び出し6か月一人で生活した経験があるが、いまでも大切な宝物になっている。当時も今も日本人は特に、群れたがる人が多い。私は積極的に海外の方の中に入っていったが、日本人というより一人の人間としてどう生きるかの大切さを学んだ。

 

今は起業して3年目だが、あれから30年の時を経て、また海外に飛び出そうと考えている。一度経験したことだから、私にとっては特別なことではない。一度きりの人生だ。

 

今回の錦織圭選手の海外での活躍を見て、私には「そろそろ出てもいいんじゃない?」というメッセージに聞こえた。

 

目の前の出来事や情報をどう感じるかで人生は変わる。

 

さあ、日本を飛び出そう!

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